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2007年6月10日 (日)

尺山女魚・その後。

釣仲間のお褒めの言葉より。
英サ:『川の神さん、ちゃんと見てますね。真面目な釣り師にはええ目を見させてくれますわ』
佳サ:『果たしてたまたまのまったくの偶然か、それとも前もって因縁づけられた必然か?わしは結果必然ととる。因果律と解釈する』
正サ:『ピピッと感じて初めて入ったポイントでの大当たり、嬉しさも格別ですね』

Imgp6007釣師は大自然の中では余りにも非力である。
とてもやないが「見てみぃ!釣ったったー、我覇派!」ちう気には全くならない。
どちらかと云うと英サが言うてのように 「オーッ!釣らせてもろて、アリガト」と云う気分である。
そんなに見識や技、ましてや凄腕なんか持ちあわせていない。
ぼくがシタ事といえば、スピード違反をして(アハハ!)竿に毛鉤付けて放り込んだだけの事。それ以外の事はしてない。
ただ 『尺山女魚を釣る!』と云う意思を持っているだけである。

自分の意思を持っていると、イロンな事がイメージ出来るちうか、見えてくる。逆に言えばその気を持っていなければナ~ンにも見えないのではないか?そして希望と意思とは違う。希望では相手は見えないし愚痴だけでは、もはや・・・である。若桜の公園で宴会している傍で、尺山女魚が水中で宴会しとっても見えない、アハハ!

東雲を照らし始めたお陽サンの鼓動、空を渡る白い雲、川面を通り抜ける風、滔々と時には轟々と流れ行く水、シトシト降る雨、川面から湧き上がる靄・・・数え上げればキリがない、自然が発する事象をどう感じるかなのである。
自分が感じたシーンに主人公の山女魚をキャストしてイメージをクリアに研ぎ澄ますのである。

その結果、現在進行形の現実の中で“ホイ”と竿を振れば掛かっただけの事なのである。
シカシ、そこには佳サ曰く所の『因果律』はあると思う。これは偶然ではない、絶対に。
その意思を持っていればこそ、正サのお褒めの言葉のようにピピッ!と来る。
「尺山女魚を釣りたい」私の意思と「餌を腹いっぱい喰いたい」山女魚の意思がガチンコする所には偶然は無く必然性があるのみである。

釣りたい意思を持っているのに釣れない場合(大抵の場合は此方である、ナハハ!)はイメージしたシチュエーションを修正する必要がある。我と彼の想いが交錯しなかったのだ。彼との交点に必要なのは“運、不運”という偶然ではない、
如何に彼の想いをクリアにするかだ。
自分のイメージ通りに自然をコントロールする事など出来る筈もない、私もその自然の一員なのだ。修正すべきはただ一つ。我がイメージにあり。
イメージを修正できない場合は「だーぼれ」若しくは、ふて寝、昼寝、やけ酒あるのみである、アハハ!

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